「ENFJ」×「長女」って、恋愛になるとトコトン損をしてしまう!!!
そんな風に思わない?
「こんないい子、いないと思う」
「今まで付き合った誰よりも優しい」
これは、私がこれまで恋仲になった男性たちに言われてきた言葉。
それなのに、なぜだ。
彼らは軒並み、私のそばから去っていった……!!!!!!
ずっと不思議だった。
こんなに大切にしているのに、
こんなに相手のことを考えているのに、
どうして私の恋は、いつも終わってしまうのだろう。
まずは、ENFJ×長女である私の恋愛傾向から、整理してみる。
ENFJ×長女の恋愛特性おしながき

- なんだかんだ、好きになると恋人が最優先
- 頼まれていないことまで先回りしてやってしまう(サプライズ大好き)
- 尽くしすぎて母親ポジションになる
- 勝手に尽くしているのに、見返りを求めてしまう
- 反応が薄いと傷つく(「ありがとう」「ごめんね」はこまめに言って欲しい)
- 「いい彼女」を無意識に演じてしまう
- 良くも悪くも、相手好みに自分を変えられる(柔軟性が高い)
- 一人反省会を定期的に開催して、PDCA回しがち(一人で空回りしている)
- 「甘える」と「ワガママ」の違いをよく分かっていない
とにもかくにも、第一に、
ENFJは愛情深い!!!!(自称)
好きになった相手のことは何でも受け入れようとしてしまうし、
たとえそれが自分を犠牲にすることであったとしても、別に苦ではない。
”相手の幸せ=自分の幸せ”
という考えが昔から根付いている気がする。
(これは長女故の特徴でもあるとは思う)
だからこそ、
「自分軸で生きよう!!」
「自分軸の恋愛こそが、イイ女への道しるべッッ!!!」
みたいな風潮が流行り始めたとき、
路頭に迷ったわよね。
それは私にとっては
“自己の幸せを失う”のとほぼ同義--。
いつも相手の気持ちを先回りして考えて、
頼まれてもいないことまでやって、
そうすることで褒められてきた子供時代。
そんな育ち方をすれば、
大人になった私にとっての存在意義の証明が、
”他人に尽くすこと”になるのは当然だ。
責任感の強さと完璧主義のサンドイッチ

恋人と長く過ごすうちに、
気づいたら「彼女」じゃなくて「母親」になっている。
“良い彼女”を全力で演じていたはずなのに、
なぜか「重い」と言われたり、普通に振られたりする。
相手が困らないように、
寂しくならないように、
楽でいられるように。
「私がちゃんとしなきゃ!」
…って、一見責任感の強さからくる
面倒見の良さみたいに感じられがちだけど…。
相手の幸せを行動の理由にしているつもりで、
実はこれら全部、
「私がいないとダメだって思ってもらいたい」
という自分の弱さから来ていた行動だったのかもしれない。
つまり私は、
回り回って自分の中にある
「不足」や「不安」を、
相手から求められることで埋めたかっただけ。
みんながハッピーになるように尽くす
“リーダー役”と言われがちなENFJの闇って、
普段は完璧主義で自分のHPを
カラッカラになるまで削るからこそ、
恋人にだけ
「私にHPちょうだい!!!!」
と、鬼のテイカーになるところだと思う。
だから、尽くすけれど
「ありがとう」の一言が少ないとモヤっとするし、
反応が薄いと
(え、やりすぎた……?)
って急に不安になる。
勝手にやったことなのに、
どこかで見返りを期待してしまって、
そんな自分が嫌になって、また落ち込む。
でも、
「落ち込んでる彼女なんてダメ…!」
「彼の前では常にハッピー女でいなきゃ…!」
とまた完璧主義が発動して、
爆速でPDCA回して無理やり感情に蓋をする。
こんな一人暴走劇場に、誰もついて来れんわな…。
相手軸の極みノンシュガードリンク

そもそも「甘える」って何?
ワガママとは何が違うわけ?という疑問もあった。
結論、ワガママ言ったっていいじゃない!!!
と、今の私なら思う。
「ワガママになったらダメ。」
「彼の負担になったらダメ。」
そう思いすぎて、
角が立たないように、傷つけないように、
めちゃくちゃ言葉を選んで、
選び抜いた結果、
遠回りで嫌な要求の仕方になる。
もっとあっけらかんと、
「こうしたい!」
「これはイヤ!」
って言えた方が、可愛げがあるんよな。
逆の立場になればすぐ分かる。
”察してほしい”みたいな空気を漂わせ続けられるより、
ストレートに言ってくれた方が圧倒的に良い!!
我慢して、我慢して、
飲み込んだドロドロした感情とか涙って、
恋人みたいに距離の近い人間には、
どれだけ取り繕っても、
やっぱり湿度が伝わってしまう。
「私、我慢してますけど?」
って空気を醸し出してピリつくくらいなら、
ちょっとくらい「めんどくさいなぁ…」と
思われることなんて恐れずに、
ワガママのひとつでも言ってみたらよかったのかも。
「自分さえ変われば…」の炙り焼き

当時の私は、
恋人との間に何かトラブルが起きた時に、
「もっと私がこうしていたら、こうはならなかったのに…。」
という思考によく陥っていたなと思う。
正直、客観的に見て
99%相手が悪い場面であっても、
「でも私もこういうところはよくなかったし。」と、
先に謝った。
この考え方や行動自体は、
別に悪いことでも
責められるようなことでもないとは思う。
ただ、自分をすり減らすことが
常態化するのは間違いないので、
どこかでもっと冷静に「割り切る」ということが
できればよかったのかもしれない。
人と人なので、
やっぱりどうにもならないことはある。
それは、どちらかが悪いとかの次元の話ではなくて、
そもそもの相性が噛み合っていなかったということ。
でも、当時の私はその真逆で、
人と人なのだから、絶対に分かり合える!
と信じていた。
(めちゃくちゃENFJ(主人公)思考w)
問題があるなら、どちらかが歩み寄れば良い。
でも、その”どちらか”というのは
大体自分になるのだから、
自己犠牲のもとで恋愛することになるのは、
当然のことだった。
〆のケーキ入刀

そんな私が最終的に結婚したのは、
INFJ(たまにISFJ)気質の夫だった。
彼は、私がやることなすことを絶対的に尊重してくれる。
もちろん、すべてを完璧に
受け止めてくれるということではなくて、
たとえ彼にとって理解ができないことでも、
一旦「受け取ろう」と努力してくれる人だ。
面倒事を「重い」の一言で片づけることもなく、
勝手に与えたものであっても、
きちんと返してくれる。
今までは恐る恐る試し打ちをしながら
進めていた恋愛が、
序盤からフルスロットルで進んでいくので、
それはそれは、ストレスフリー!!!
「私が幸せになるためには、自分を変えなければいけない。」
「尽くしすぎず、相手の反応を見ながら、相手に求められたものだけ与えていこう。」
夫に出会うまではそう決めて、
な~んかぎこちのない恋愛を推し進めようとしていた。
だから、な~んかうまく行かなかった。
そして、傷付くのも嫌で、
ちょっとうまく行かなさそうと思ったら、
自分から予防線を張るようにご縁を逃していた。
とにかく「もう、失敗したくない」が前に出すぎていたのかも。
でも、ENFJ長女が
恋愛で幸せになるために必要なのは、
溢れんばかりの愛情を「抑える」ことでも、
「尽くさない」努力をすることでもない。
”感情を雑に扱わない人か”を見極めることだ。
投げてみた感情を受け取ってくれるかどうかは
相手次第だとしても…。
尽くしたことや
その愛のをまずは認めてくれれば、
雑に扱われなければ、
それだけで私たちの心は守られる。
よくいう「価値観」は同じでなくても良い。
違っても、それを否定せずに
一旦は受け止めようとしてくれる姿勢があることが大事だ。
たぶんこれまでの私は、
この価値観の違いによる“噛み合わなさ”や
受け止めてもらえない”温度差”を埋めるために、
必要以上に尽くして、
結果として「重い」と感じられていたんだと思う。
その証拠に、今の夫に対しては、
いわゆる「尽くす」ことをあまりしない。
「自分が変わらなければ…」を卒業するために、
“変わらない自分を許す”という選択をしたのだ。
この小さな変化が、
肩肘を張らなくても笑っていられる未来に、
ちゃんとつながっていた気がしている。



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