スピード婚が暴いた、私の本性【エッセイ】

カチゆるエッセイ

人生で一度は成し遂げたいことリストに入っていた「結婚」。


去年の暮れ、ひょんなことから急展開でそれを実行することになった。

私たちは、いわゆるスピード婚である。
出会ってから付き合うまで2週間、婚約までもさらに2週間。その約1ヶ月後には入籍した。

しかも出会いはマッチングアプリ。
冷静に考えれば、互いの素性もろくに理解しきっていない相手と、よくそんな決断をしたものだと思う。

とはいえ、実際に結婚してみてどうだったかと聞かれると、今のところ拍子抜けするほど平和だ。

もちろん小さなぶつかり合いは、日々起こっている。
でも夫は普段から私の気持ちをよく汲んでくれるし、家事も率先してやってくれる。
結婚したからといって、お互いの遊びや旅行が制限されることもない。

要するに、付き合いたての恋人がそのまま同棲しているようなもので、世間が言うところの“スピード婚の弊害”らしきものは、今のところ特に見当たらない。

 

そもそも私は、相手に過度な期待をしないタイプだ。
どれだけ素敵に見える人でも、その素敵さが永続する保証はないし、見えていない激ヤバな闇を抱えている可能性だって十分にある。

だから最悪の想定は、だいたい最初にひと通り済ませておく。
何か起きても「はいはい、想定の範囲内」と思えれば、自分の心と未来の平穏は守られるはずだから。

それでも私がこのスピード婚を決めたのは、単純に「今、結婚してみたかった」からだと思う。

 

昔から、一度「こうしたい」と思い浮かんだことは、実行しないと気が済まない性分だった。
しかも、それが大きな決断であればあるほど。

 

この結婚にも、正直かなりそのノリと勢いがあった。

「結婚する?」と恐る恐る夫に聞かれた夜、
「スピード婚!!!!してみたい!!!!」と、脳内に爆竹のようなお花畑が広がった。

 

 

でも、今のところ後悔はしていない。
それは結婚報告をした際、母に言われた何気ないひと言が、意外と心に残っているからかもしれない。

 

「人生に失敗なんてない。」

やってみて違ったら、やめればいい。
それは失敗ではなく、別の道のほうが合っていたというだけの話だ。

 

言葉だけを聞くと、ありきたりかもしれない。
もちろん、この言葉で結婚と同じくらいフラットな選択肢として、離婚があってもいいのだと思えた。

 

ただ、私がこの言葉を心に刻んだのは、そういう単純な理由だけではない。
そのやりとりの中で、自分のどうしようもなさが浮き彫りになったからだ。

 

私はそのとき、照れ隠しから「まあ最悪、失敗してもいいし」と軽く口にしてしまった。

 
母は、私が20歳のときに父と離婚している。

 

もちろん、悪意があったわけではない。
けれど、そんな背景を持つ相手の前で、よくもまあその言葉を選べたものだと思う。

 

親しい相手であればあるほど、私はこういうところが雑になる。
しかも厄介なのは、わざとではないことだ。
素でやってしまう。

 

昔から、自分はそこそこ気が遣える人間だと信じていた。
空気も読めるし、常識もある側の人間だと、なぜか疑っていなかった。

でもたぶん、いや絶対、全然そんなことはなかった。

 

私は思っていたよりずっと鈍いし、思っていたよりずっと失礼だ。
30年以上、なかなか派手な勘違いをしたまま生きてきたらしいということに、この一言でハッと気付いた。

 

そして最近は、それが夫に対しても容赦なく発揮されている気がしている。

 
夫が怒らないのをいいことに、ふざけたイジリをやりすぎたり。
私の意見を尊重してくれているのに、「自分の意見がない」と責めてしまったり。
「あ、やりすぎた。」と冷静になって反省することが確実に増えた。

 

結婚したら、相手の嫌なところが見えてくるものだと思っていた。
ところが実際にあらわになったのは、相手ではなく私自身の未熟さだった。

スピード婚のリスクとして“相手選びの見誤り”を心配する以前に、今のところ私が一番見誤っていたのは、自分自身である。

そう考えると、この結婚は幸せを噛みしめる前に、ずいぶん容赦のない自己点検を突きつけてくる。
この世でいちばん大切にしたい相手を、同時にいちばん傷つけてしまえる距離で、これから先ずっと生きていくのだから。

 

結婚生活は、まだ始まったばかりだ。
今ここで立ち止まって、その事実に気づけているだけ、まだ救いはあるのかもしれない。

しばらくはこの現実と向き合ってみようと思う。
人生に失敗なんてないらしいのでね。

 

 

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